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ストーリー15.大学の歴史から大学教員のこれからを考える

中原 はい。それでは皆さん、こんにちは。トーク・セッションのコーナーになります。きょうは吉見俊哉先生にお越しいただきました。先生、お忙しいところ、ありがとうございました。

吉見 こんにちは。よろしくお願いします。

中原 よろしくお願いします。最終回ということで、栗田先生にもご登場いただいて、どうもありがとうございます。

栗田 よろしくお願いします。

中原 今日はですね、高等教育。ちょっとマクロな立場に立って高等教育全般のお話を先生と、最後ですので、していきたいなというふうに思ってます。吉見先生は、『大学とは何か』ってご著書を岩波新書ですよね。

吉見 そうですね。

中原 それの本をお持ちだと思うんですけども、私も読ませていただいて。

吉見 ありがとうございます。

中原 そんな長い時間取れないんですけど、大学の歴史っていうのからお話を進めていきたいんですね。そもそも、いろいろこのプログラムでは、教え方がうんぬんとか、そういう話ししてますが、大学ってもともとどういう場所だったのか。もともと歴史的にはどういうふうに発展してきたのかってことについて、ちょっとお話しいただきたいんですが。

吉見 そうですね。大学が生まれたのは大体12世紀から13世紀のヨーロッパなんですけれども、その大学がまず教師と学生の協同組合として生まれた。

中原 協同組合。

吉見 とっても重要なんですね。ユニバーシティーっていうでしょ。ユニバーシティーの意味っていうのは、そもそもは教師と学生の協同組合っていう意味なんですよ。

中原 そうなんですか。

吉見 なんで協同組合を教師と学生がつくる必要があったのかということなんですけれども、12~13世紀、つまり中世のヨーロッパでは都市と都市がネットワークで結ばれていて、先生や学生は知識を求めてある都市から都市へと、ずうっと旅をして回ってたんですね。つまり教師も学生も基本的には旅人だったんです。

中原 格好いいですね。知の旅人。

吉見 でも、今もちょっと似てるんじゃないですか。今も学会だとかツアープログラムだとかで、非常に世界中にある季節になれば学生も院生も教師も、世界中に動いてるじゃないですか。

中原 確かに研究って観点でいくと、そういうふうに動きますよね。

吉見 ちょっと中世に戻ってるようなところがあるんですね。

中原 そうなんですか。なるほど。

吉見 旅をして回ってるでしょ。旅人っていうのは、ちょっと弱い立場なんですね。例えば、町々に行けば地主だとか領主だとか、いろいろな支配者が居るわけですよ。そうすると彼らが、学生と先生がそこで何かを教える、あるいは学ぶということをやっていると、こいつらちょっと税金を取ろうとかですね、いろいろな規制を加えようとか、いろんな圧力がかかってくるわけじゃないですか。そういうふうな圧力に対して、私たちが、つまり先生も学生も協同組合。その協同組合は、例えばローマ法王とか、神聖ローマ帝国の皇帝とか、とんでもなく上位の権力から特許状をもらっているということを言うことによって、領主層、あるいは支配者に対して余計な干渉を退けることができたということがあるんですね。

中原 もともとは学びたい人が居て、教えたい人が居て、そういう人たちのコミュニティーみたいなもんだったってことなんですよね。

吉見 そうですね。コミュニティーですね。それで新しい真理を求めていく。真理も、キリスト教において何が正しいかということよりも、もうちょっと開けたというか、普遍的な真理を求めるような活動をする場が大学であり、その知識に対する信頼性っていうのがだんだん大学の力を広げていった。

中原 今の大学とはちょっと、イメージが違いますよね。

栗田 違いますね。

吉見 違うかもしれないですね。ただ、その中世に生まれた大学が、16世紀、17世紀、18世紀と、どんどん衰退していくんですよ。なんで衰退していくのかっていうと、いくつか理由があるんですけれども、例えば宗教戦争。つまりプロテスタントとカソリックの宗教戦争が、世界史の教科書で習うように16世紀に起きますよね。その中でプロテスタント側の大学とカソリック側の大学が分かれてしまったり。

中原 なるほどね。

吉見 それからフランスとか、ドイツとか、イギリス、イングランド、そういう近代の国民国家が徐々にできてくることによって、ヨーロッパがだんだん国ごとに分裂していくとか、いろいろあるんですけれども。でも一つ大きかったのは、15世紀の後半にグーテンベルグが活版印刷を発明しますね。そうすると新しい知識が活版、つまり活字という形で同時に何千部とか何万部刷られて、ずうっと広がっていくっていうことができるわけですね。

中原 なるほどね。

吉見 そうすると、今までは重要な知識とか、真理だと考えられているような知識が書かれている本を読むためには、ずうっと何カ月も旅をしてある町に行かなければならなかった。ところが活版印刷が発達して、どんどん印刷が進んでくると、膨大な本がヨーロッパにあふれてきますから、一種の情報爆発なんですけれども。そうすると情報へのアクセシビリティーがすごく増したことによって、わざわざ旅行しなくても、旅人にならなくても知識が得られるじゃないかということで、わざわざ大学になんか行かなくたって、本をたくさん集めて自分の周りにそろえれば、必要な知識は大体そろう。ちょっと今と似てるんですね。

中原 なるほどね。

吉見 インターネットがあって、デジタルアーカイブがあって、ネットにアクセスすれば知識は簡単に得られちゃう。16世紀においても、印刷技術が発達することによって、知識がどんどん出版されていくっていうことで、一種の情報爆発。

中原 そうすると16世紀と17世紀は、宗教とか国とかの影響を受けながら大学っていうのが、ちょっとずつ弱くなっていって、あとはそれを後押ししたのが本っていうメディアの登場ということになるわけですね。

吉見 大体、近代に有名な思想家とか科学者を考えてみても、大学のプロフェッサーだった人って本当に少ないと思うんですね。デカルトとかパスカルとか、いろいろ居るでしょ。誰でも知ってるような人が。こういう人たちは、ほとんどが大学の教授じゃないですよ。

中原 ニュートンとかもですか。

吉見 そうだと思いますね。

中原 そうですか。

吉見 それで教授じゃないけれども、彼らは非常に重要な本を書いた著者なんです。

中原 著者だったんですね。

吉見 著者であって、その本が出版されて、この本はものすごく重要だっていうことになってくると、著者としての権威を確立した。また、そういう著者はアカデミーの会員になっていって、王侯貴族から庇護を受ける。これが一番偉い知識人たちで、大学の教授っていうのはどっちかっていうと、もうちょっと下。

中原 ちょっとかわいそうな感じ。

吉見 普通の人なんです。

中原 普通の人。なるほど。

吉見 だから本当の思想家や科学者っていうのは、大学の教授なんかにならない。

中原 なるほどね。

吉見 そういう時代が18世紀ぐらいまで続くんですね。

中原 その後はどうなっていくんですか。

吉見 その後に大学はこつぜんと復活する。19世紀を通じて知の中枢機関になっていくっていう、全然逆転っていうか、転換が起こるんですよ。この転換をした一番大きな力というのは、国民国家ですよ。

中原 なるほど。ネイション。

吉見 ドイツを中心に近代の国民国家が発達してきて。国民国家っていうのはエリートが必要です。国を支えるエリートが必要です。このエリートを選んで育成して中枢に就けていくような、中枢的な機関として大学は復活してきた。

中原 そういう意味でいうと、国民国家を支えるような人材の選抜機関っていうことですね。

吉見 選抜であると同時に養成機関。

中原 なるほど。

吉見 このことを最初にがっちりつくっていったのがドイツですね。ドイツからイギリスとか、あるいは日本にも広がっていきますけれども。そうすると近代の教育システム、つまり国民国家の下での教育システムが確立してきて、そして小学校、中学校、高校ですけれども、高校の後、大学に入って。大学がやがて大衆化してきますから、それで企業に行く、あるいは社会人、いろいろなっていくという回路が広がっていきますけれども、でも選び抜かれた層は例えば国家の官僚になっていく。そういうふうな、あるピラミッドがそれぞれの国においてできてくるというプロセスに入ってくる。

中原 なんか先生のお話を今伺ってて一つ思ったことは、大学がある意味、時代変化に常に揺れ続けてきたっていう。

吉見 そうですね。

中原 安定した時期なんてあったのか、みたいに、ちょっと思っちゃったんですけど。

吉見 でも、近代の国民国家が今度確立してくると、19世紀から20世紀の半ば過ぎ、あるいは20世紀末までもそうかもしれませんけれども、国民国家っていう枠組みが世界中に広がっていくプロセスでしたから、大学の数も増えたし、それからある大学の仕組みというのも非常に広がっていったと思うんですね。今、日本に780ですか、800近く。

中原 そうですね。

吉見 戦後、つまり第2次世界大戦が終わったときには50も大学はなかったんですよ。ところが、その後どんどん大学が増えてるし、アメリカにおいてだって2600~2700ですか、大学はある。中国も1600~1700、すごい数。大学の数を合わせたら世界中で、もう1万以上大学はあるんじゃないでしょうか。そうすると1万以上の大学において、一つの大学に数千人の学生が居るとすると、大学生の数なんていうのは数千万人。

中原 そうですね。

吉見 すごい数なんです。

中原 でも、僕はもう少しで40近いけど、自分が学生だった頃の時代っていうのは、ある意味でつかの間の安定期の一番最後みたいな感じであったのかな、何て、今お話を伺って思いました。

吉見 そうですね。

中原 ちょっと話を先に進めたいんですが、今この状況っていうのは先生の目から見て、大学っていうのはどういう今、組織になってるのか。あるいは、どういう状況になってるのかっていうのはいかがですか。

吉見 今お話ししたように、19世紀から20世紀の終わりぐらいまでっていうのは、近代の大学の発展期で、国民国家っていうフレームの下でどんどん大学の数が増えていった時期だったのです。しかしながら20世紀の末、あるいは21世紀に入って、大学が大きな転換期に差し掛かってると思うんですね。というのは、まず第一に国民国家っていうフレームそのものが、少し力が弱まってきてるというか、グローバル化の時代ですから、そのグローバル化でいろんなことが国境を越えてどんどん進んでくると、国家っていう枠組みとは違う、もっとグローバルな仕組みのほうがより強い力を発揮するようになるのですね。
 それから、もう一つはデジタル化といいますか、いわゆる情報化が進みますと、16世紀も情報爆発の時代だったんですけれども、ますます重要な知識とかいろいろな情報を得るためには、わざわざ大学の図書館に行かなくても、あるいはわざわざ大学の先生に習わなくったって、必要な知識は得られるじゃないかっていう話になってきます。そうすると、大学の地位っていうか、大学の位置がとっても揺らいでいるのが現在なんですね。

中原 なるほどね。この胸騒ぎは偶然ではないというか。

吉見 そのときに大学はどこに行くべきか。

中原 なるほどね。

吉見 それはいろんな考え方があると思いますけれども、私は最も重要なことの一つは、大学が人生の通過儀式から、むしろキャリアとかビジョンの転換のメディアになるべきだと思いますね。

中原 通過儀礼ですか。通過儀式。

吉見 通過儀式っていうか通過儀礼という。

中原 通過儀礼としての大学から。

吉見 通過儀礼としての大学から、キャリアやビジョンの転換メディアとしての大学へ転換するべきだというふうに思うんです。どういうことかというと、普通私たちの思っている大学というのは、高校があって大学があって社会人になる。つまり高校と社会の間に挟まっているのが大学で、この高校から大学に移るときに入試っていうのがあるでしょ。

中原 そうですね。

吉見 それから大学から社会人に移るときに就活っていうのがあって、それが通過儀礼に入る入り口と出口ですよ。大学に入ったら結構自由に過ごしてていいか、みたいな感じです。

中原 4年間許された感じの。

吉見 4年間のモラトリアム。多分就活が大変だっていうことになってるわけじゃないですか。これ、とっても一種の通過儀礼に似てる話ですね。だけれども、それはある種社会から非常に安定的な構造の中で、小学校、中学校、高校、大学、社会人。大学の中では1年生、2年生、3年生。それから何々学部の何々学科というふうに、自分の所属はここにあって、それぞれちゃんと所属に一定の段階的に発展していく、ある所に所属していれば次の道が開ける。それが自然だっていうことが成り立っていた社会において、初めて可能だったことだと思うんです。

中原 今は難しいかもしれない。

吉見 今は違ってきてますよね。つまり社会がもっとすごく流動的で複雑的になってきてますから、それまでのある種、殻が壊れていく。つまり、年齢的なこともそうだし、それからいろいろな組織とか、国の殻が壊れてきたんですよね。国の殻も壊れてきてるし、組織に殻も壊れてきてるし、もうちょっと非常に社会そのものがフレキシブル、流動的に成り立つようになってきている。そういう状況の中では、今までの通過儀礼的な仕組みよりも、むしろ大学は、僕思うんですけれども、多くの人が人生で3回大学に入れるような。

中原 3回も。なるほど。人生の3回の局面でってことですか。

吉見 3回の局面で。

中原 なるほど。

吉原 3回っていうのは18歳、高校卒業ですね。それから。

中原 それは今と同じですね。

吉見 それから30前後。30前後というのは、ひとあたり企業とか職場でいろんな現場を踏んでって、大体自分の仕事はどうこなしたらいいのか分かるのは、10年ぐらいやってて分かりますよね。そこから先、管理職になっていきます。つまり、同じ組織で管理職になっていくのか、それとも大きく方向転換してもう一つ別の可能性を探っていくのかというところで、迷う時期が30代のどこかにあるんじゃないか。ある時期があるでしょう。

中原 あるでしょうね。

吉見 もう一つは60前後で、定年が見えてきて、自分の会社とか組織ではやるべきことは大体やった。あるいは、やれないってことも分かった。もうすぐ定年だと。だけども、まだ75ぐらいまではみんな元気ですから。

中原 そうですね。

吉見 あと15~16年、人生あると。そこで余生を過ごすのか、それとも頑張ってもう一旗揚げるっていうか、もう一仕事真剣にするのか。真剣にそれに取り組むのかっていうことを選択すべき時期がくるわけですね。そのときに、大学は何ができるのかっていうふうに考えていったら、さっきちょっと申し上げたんですけれども、人生のビジョンとかキャリアを転換していくメディア。メディアっていうのは媒介項です。

中原 というのは、そういういろんなキャリア上の転換のきっかけのときに、自分には今まで考えてこなかった方向からものを見たり。

吉見 何となく考えてきたんだけれども、それが現実味を持ってなかったことを、もっとそれを現実にしていくという媒介作用。

中原 なるほどね。

吉見 そういうものを大学が果たしていったらいいんじゃないのですかね。

中原 僕の研究室とかだと、割合やっぱ同じですね。つまり、60代ちょっと手前の方とか、あとは30代から40代の間ぐらいで、恐らく先生が今言われたようなニーズを持って来られる方は結構多いですよね。

吉見 そういう人たちが、もっと当たり前のように大学、あるいは大学院に入り直すようになってくれば、それこそ最近の少子化とか18歳人口の減少で、大学の受験者とか志願者が減ってるでしょ。日本の場合は特に。だけど、3倍にならないかもしれないけれども、人生みんな3回大学に入るようになれば、780大学があるのは多過ぎるって言われているけれども、しかし母集団が3倍近くになれば何とかやっていける。そういう面もありますね。

中原 でも先生、そう考えると、もともと国民国家を支える人材の供給システムで、そこにエリートを対象にして教育を行っていた大学教員が、例えば人生のそれぞれの転機に、ある意味新しい視点とかを提供するようなメディアになんなきゃならないことに近くなってくると思うんですけど。これからの大学教員って、どういう資質というか、どういう在り方、仕事の仕方が求められるようになるんですかね。

吉見 今の話の連続になってきますけれども、極端な言い方をすれば大学教員もある種のメディアになるべきなんじゃないかっていう気がするんですよ。

中原 メディア。

吉見 大学教員がメディアになるって、すごく変な感じがするんですけれども、でもさっき言ったように、メディアって媒介作用だと。媒介項です。そうすると、学生たちは非常に多様化してくる。もちろん高校を卒業して大学に入ってくる人たちも、ずうっとこれからも続くんだけれども、それと同時に30前後のひとあたり社会人経験を積んだ人や、それから60前後の定年前でもう一回違う人生を歩もうとしてる人が大学に入って、何か新しい知を求める。そこで一緒にコラボレートするっていうか、一緒に学んでいくような場が大学の中に生まれてくると、そういう人たちをどうやってつないで、いい形でですね。全然違う世代の人たちや、全然違う経験を積んだ人たちが、どこでどうつながっていくのかっていうこと。非常にどういうつなぎ方をすれば一番創造的なのかっていうことを考える役割。これ、大学教師が担うべきものですよね。そうすると、そういう違う人たちのファシリテーターっていうんでしょうか。知のファシリテーターのような役割を、まず担う。これ、一種のメディアだと思うんですよ。
 それからもう一つあるのは、その学びの場を現実に考えてみると、とにかく知識というものが、あるいは情報が、例えばネットもそうですし、それからさまざまなアーカイブもそうですけれども、相当膨らんでますよね。今までの容量よりもアクセス可能な知識のボリュームがものすごく大きくなっている。それは英語メディアや、さまざまな言語のメディアまで含めれば、大量の知識に比較的容易にアクセスはできるようになっているのですね。この傾向はますます強まる。
 そのときに、どういう知識と知識を組み合わせたり、どういう情報が信頼できて、その信頼できる情報と信頼できる情報を、あるいはどの情報は信頼できないか、それを選別しながら、そしてその情報をどういうふうに理論化していったり、それから分析していったりすると新しい知が生まれてくるのかということについての方法論とか、それからメタのレベルの認識論っていうのは、ものすごく重要になってくると思うのです。
 そうすると大学教師が、ある種メタメディアというか、いろいろなメディアは世の中にあふれているんだけれども、それらのメディアに対してもう一つ、より信頼度が高い。そして、より創造的な役割を果たし得るようなメディアになることによって、生きてるメディアですけれども、メディアになることによって、もう一度ある種さっき申し上げたような、さっき申し上げたような21世紀型の教師と学生の、知の共同体を作っていくような、そういうことです。

中原 なるほどね。そういう意味でいうと多様なものをつなげるってことになってくると、当然創造的な葛藤というか、クリエーティブなコンフリクトって起こってくるよと。そういうようなものを時に起こしつつ、新しいものを生み出していったり。あとは先生がおっしゃったみたいに、いろんな知識があふれてる時代なんで、その目利きというのか、そういうことなんですかね。

吉見 そうですね。

中原 多様なものを、栗田さん、スペシャルコメントの時間ですよ。多様なものの中から知識を生み出していくとか、クリエーティブなコンフリクトっていうのをつくっていくとか、そういうつなげるってメディアとしての大学教員という場合に、栗田さんの目から見ると、今このコースが目指していることと、どんな関連があるのかっていうか。どうですか、その辺り。

栗田 お話を伺ってて、結局その教員の姿勢っていうのは大学ができた頃の原点回帰でいいのかなと思ったんですけど、そうではない。

吉見 良くは全然ないんですけれども、でも大学の根本は変わらないんじゃないか。変わらない部分、必ずあるはずです。それは何かっていうと、二つだけ挙げると、一つはやっぱり大学の学びが成り立つためには、教師と学生の間の信頼関係。共同体から出発したということもありますし。教師と学生の間の信頼関係が壊れちゃうと大学は成り立たないんですね。やっぱりそこは知っていうものを生み出していたり、知を求めていったりするときの教師と学生の間の信頼関係っていうのは。

中原 必要だと。

吉見 そう、特に。それからもう一つは、そのときの知というのは、二つの側面があって、一つは役に立つということを確かにしている。つまり社会とのインタラクションというものから切れた知ではなくて、社会に対して働き掛けていったり、そこから何か受け取っていったりして、社会の中で意味を持ってくるということは一方でとても重要です。でも、役に立たないということも重要なんですね。役に立つことと役に立たないことの両方が重要で、知の中には役に立たないけれども価値があるということは必ずあるんですよ。これをずうっとリベラルアーツとかリベラルな知とか教養って言ってきたわけですけれども。
 そのリベラルな知は、リベラルっていうのは自由という意味と、寛容という意味と、いろいろな意味がありますけれども、必ずしも役に立つことを目的としてはいない。でも、そのリベラルな知の基盤がないと、ユースフルな、つまり実用的に役に立つ知というのは生まれないので、このリベラルな知と役に立つ知のダイナミックな関係というものをつくっていけるっていうことが、これがある意味で中世からずっと変わらないですね。この二つ変わらない。
 でも、それがどういう形を取っていくのか。つまり、情報環境は全く違うじゃないですか。みんな、ある一つの知、一つの知識を求めて、2カ月、3カ月旅をしながら、やっとある都市の修道院に着いて、『薔薇の名前』って昔映画があったときでも、その映画にあったように古い用紙か何かに書かれている知識を得るっていうことが、ものすごく価値を持ってた時代から、ボタン一つでネットにアクセスして、そしてネットの検索システムで、ある知識は取りあえず得られちゃうっていう時代とは全く違うわけですね。
 そういう、ものすごく環境が変わっている中で、しかし学問の根本であるような、そういう学びの共同性というものを維持していく。そのために教師に求められる能力とか、あるいは役割、それは変わってると思います。プリンシプルっていうか基本原則は変わってないと思うが、実際に教師が何をやっていくべきなのかっていう部分は、環境が全然変わってるから、そこはすごく変わってきている。

中原 そういう意味でいくと、大学教員に必要な資質という点で、過去から連綿と続いているものの中で、変えてはいけないものも多分あって、でも環境の変化に応じて大学が変わってきたと同じように変えなあかんもんもあるということ。そうすると変えては駄目なものと、変えなあかんもんっていうものを、うまく峻別しないとこれはややこしい話になってきます。

吉見 ややこしくなる。

中原 先生、それでは、ずっとお話を伺っていきたいとこなんですけれども、お時間のほうがきてしまいまして。このインタラクティブ・ティーチングを見ている視聴者の方には、近い将来、大学の教壇に立って講義をしたいと、教えてみたいっていう大学院生の方とかも居るんですが、最後先生のほうから一言メッセージをいただけるとありがたいんですが。

吉見 そうですね。今、大学教員を目指している人たちっていうのは、本当に大変だと思うんですね。ていうのは、90年代の文部科学省の施策の中で大学院重点化というものがありました。つまり大学院生の数が、その結果とても増えたんですね。特に修士号、さらに博士号を取っている学生の皆さんの数も増えました。しかしながら、それだけの分、大学が増えたわけでも、あるいは大学の就職先が増えたわけでもないんです。そうすると、大学教員の職を求めての競争状態っていうのが、非常に激しくなってきて、なかなかそこに就けないという人が増えてきた。
 そうすると、どうしても挫折しそうになったり、諦めたくなったりすることがあるかもれないです。でも、僕はよく言うんですけれども、才能は執念だ。つまり、どこかでこれを信じてやり続けるっていうことは、ものすごく今の社会、大切だと思います。社会がどんどん流動的になり、フレキシブルになっているが故に、誰かが、あるいは皆さん自身がっていいますか、自分はこの道を進むんだということを諦めない。あるいは逃げないっていうことが、今まで以上に大切なんですね。ていうのは、社会がそれを保証してくれないから。だから皆さん自身が頑張んなくちゃなんない部分があると思うんですよ。
 そのときに、ある種ちょっと格好良過ぎるかもしれないけれども、才能って執念だよねっていうふうに皆さん自身が思ってほしい。その先にきっと皆さんを待っている大学生たちが居るんだと思うんですよ。そういう出会いを必ずどこかで手にするということが、きっとできるときが、諦めずにいけば結構できるはずっていうとあれなんですけれども、できているケースをいっぱい見てきてましたし。それから、そのときに諦めないっていうことがいかに大切かっていうことも見てきましたから、やはりもう一回あらためて言うのは、逃げないでください。

中原 才能とは執念だ。

吉見 最後、才能とは執念だと思い続けながら、あなた自身の執念を持ち続けてほしいっていうのが、私からのメッセージです。

中原 なるほど。ありがとうございました。それでは、これでインタラクティブ・ティーチング、トーク・セッションも終わりなんですけれども、インタラクティブ・ティーチングの全内容、コンテンツのほうは終わりになります。最後、いかがですか、栗田さん。一言。

栗田 先生のお話の中の、教員と学生の信頼関係が大事っていうのが、この授業自体の本当にやってたことかなと思いました。

中原 そういう信頼関係を保つような場づくりとかね。

栗田 そうですね。

中原 分かりました。どうもありがとうございました。

(了)

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