Utokyo faculty development東京大学

インタラクティブ・ティーチング

ストーリーセッション

ストーリー14.演劇を授業に活かす

(音楽)

中原 それでは皆さん、こんにちは。中原です。きょうもストーリセッション、始めていきたいと思いますが、きょうは東京学芸大学付属高校の浅田孝紀先生、国語科の先生ですね。浅田孝紀先生にお越しいただきました。先生、どうもよろしくお願い致します。

浅田 よろしくお願い致します。

中原 よろしくお願い致します。
 きょう先生に伺いたいのは、演劇を活用した授業ということで、附属高校のほうでやられてる、実践についてお聞きしたいんですが。事前に伺ったとこだと、1年生、2年生とかを対象にした授業ということなんですが、どんな感じの授業なんですか?

浅田 どんな感じというのを一言で申し上げるのは非常に難しいのですが。私の場合は、特に国語科ですので、一つは戯曲というもの自体を文学作品の一つとして考えて、それを、例えば俳句を創作するような形で創作するっていうようなイメージをお持ちいただければ良いか、ということが一つと

中原 なるほど。

浅田 それともう一つは、演劇的な行為を授業の中に取り入れて、いわば発表学習の一つの形態としてアクティブに活動していくということでございます。

中原 なるほど。なんか、アーティストの方も入れられてる授業ってことで、ちょっと伺った話だと、『新古今和歌集』とか、そういう和歌なんですかね? 作品みたいなものを2、3個生徒に提示して、それを事前にいろいろ学習させて、生徒が台本書いてくって聞いたんですけれども、それはどんな感じの?
 今の僕の説明のプロセスでいいんですかね?

浅田 ええ。いろいろなことをやってはいるんですが、その中の一つがその授業でございますけれども。その『新古今和歌集』などを使いました授業は、すいません、国語科の部分とそうでない部分が混じりますけれども。短歌を三つ、抽選でクラスのグループ六つに割り当てるんですけれども、その短歌を解釈していく過程がまず一つ、国語科の内容としてあります。一方で、単に解釈して、あるいは鑑賞して終わるのではなく、それを使って新しい文化的な成果物を作ろうと。具体的に申しますと、新たな戯曲を作り、それを上演してみようっていう、そんな形になっていまして。
 『新古今和歌集』の場合でも、あるいはそれ以外のものの場合でも、和歌集には部立てというのがあるんですが、春夏秋冬といった季節の歌、それから恋の歌、それ以外に、別の種類の歌があったりします。その3種類。『古今和歌集』なんか、それが特にはっきりしているんですけれども、その3種類の中から、私のほうで選んだいくつかの歌を抽選させます。そうしますと、部立ての違う歌が三つ、各班に割り当たるんですね。その・・・。

中原 あるとこは夏で、恋の歌で何とかってことですよね?

浅田 そういうことになります。それらの歌を、まずは解釈はさせてあるわけですけれども、それを台本の中に取り入れるような形にする。それは、具体的にはセリフになったり、ナレーションになったり、あるいはそれを意訳したもののイメージになったりしても構わないんですが、ともかくその三つを溶け込ませた一つの戯曲を作った上で、そのグループで最終的には生徒全員の前で上演するというようなことをやっています。

中原 それは大体何時間ぐらいで生徒は作るものなんですかね?

浅田 年によっていろいろあるんですけれども。

中原 ちょっと違いますよね。

浅田 まず、和歌の解釈まで終わっているというところから、創作のほうへ向かっていきますが、恐らく作る時間そのものは、授業時間で1時間取り、その間、各グループに私のほうであれこれとアドバイスを入れ、その後は課外活動のように各班で作ってこいというふうにしてしまいます。その後、アーティストさんが実際に入ってくる授業の場合、そこで入ってきていただいたことがありますが、そのときには、リーディング発表といいまして、特に演技はせずに出来上がっている、一応第1次台本を読むんですね。

中原 生徒が読んで?

浅田 はい。生徒が読みます。それに対して、今度は各班に1人ずつのアーティストさんが付いて、台本として成立しているかどうか。それからもっと改善したほうが面白くなるっていう場合は、その改善点はどういうところか、といったようなことをアドバイスしてもらい、ブラッシュアップをします。その後また1時間ぐらい、私一人のときにブラッシュアップの続きをやらせますので、都合4時間ぐらいで最終形ができあがり

中原 で、本番。本番ってことですよね?

浅田 はい。

中原 本番にもアーティストの方来られるんですか?

浅田 はい。

中原 そうなんですか。なるほど。
 それでは、そのアーティストの方を。ちょっと伺いたいのは、なんでアーティストの方を実際にお呼びになってるのかってこと。つまり、先生との役割分担みたいのどういう形になってるのか、ちょっと伺いたいんですけれども。

浅田 アーティストさんに来ていただいていますのは、文部科学省がやっています、児童生徒のコミュニケーション能力の育成に資する芸術表現体験という事業がございます。その事業に採択していただいて、ありていに言ってしまえば予算が下りて。

中原 付いてるから。

浅田 それで、人件費と交通費を文部科学省から出していただいているという、そういう形なんですが。
 そもそもそこに私のほうで手を挙げ始めたのは、私自身が高等学校で演劇部の顧問をやっている関係で、そちらで例えば会場を借りたり、ご指導いただいたりするようなアーティストさんとの関係がもともとあったということが大きいです。

中原 なるほどね。じゃあ、アーティストの方にはプロの目線で、その台本ちょっとしんどいんじゃないのみたいなことを指導してもらってるってイメージなんですか?

浅田 そうですね。

中原 そうですか。なるほど。
 僕ね、本当に国語とか、古典とかって、ど素人なんですよ。古典って言われると、和歌でも構わないんですけど、取りあえずなんか暗記させられるものとか、文法を覚えるものって感覚しか僕にはないんですね。なかったと言ってもいいと思いますけど。きょう伺って、ちょっと変わったとこありますね。
 あと、国語の授業っていうと、なんか読んでる、読んで理解するみたいな。自分で上演するとか、少なくともアクティングアウト。アウトするって感覚がないんですよね。インプットするものって感じがあるんだけど。それは先生がこういう授業なさったのは、なんかそこに深い思いがあるからなんですか?

浅田 そうですね。確かにインプットするというパターンは、特に古典では、もう昔から訓詁注釈の世界でしたので、その訓詁注釈で終わってはいけないというのは、随分前から言われていたんですが、しかし、例えばそれが国語教育のほうでも、いろいろ工夫された実践は多いんですけれども、創作、古典の分野で何かを創作するっていうようなところは、あまりなかったんですね。すなわち、知的に調べ、それを知的に発表する。例えばプレゼンテーションを行う中で、古典に関することを、理解したことを生徒の前で生徒が発表するというようなものが多かったんですけれども。

中原 なるほどね。

浅田 それだけですと結局、感性の部分というのを育てるにはもう一つかなと。むしろ、例えばよく、現代文の短歌や俳句の分野などでは、教科書にあるものをやった後で、今度は自分で作ってみようなんていうのがあったりします。あるいは、詩歌に多いんですけれども、現代詩。朗読をしてみよう。小説でも所々、そういうことをやったりすることはありますが、そういった、いわばパフォーマンス的な部分というのも、立派な発表活動だと思っておりますので、それが古典でもできるといいなというふうに思っておりまして。

中原 なるほどね。

浅田 ただ、古典で何かやるといっても、古文を作らせるのはなかなか大変ですので。

中原 それは難しいでしょうね。

浅田 ですので、古文をアクティブに朗読するとか、あるいはその古文のものを使って、現代の作品に転換したものを作って上演するとかっていうようなことをやらせたいというふうに思っていたわけです。

中原 なるほど。あと、そういうパフォーマンスの部分ってのも、僕はあんまり。僕が高校生の時代っつったらもう20何年前なんで、あれかもしれませんけど、なかったんですが。
 演劇っていうのも、僕、ど田舎出身からかもしんないんですけど、なんか怪しいっていうか。全然演劇っていうものが、自分が若い頃に触れるもんじゃなかったんですけどもね。そういうのってのは、やっぱ今、少しずつ変わってきてるんですかね?

浅田 そうですね。演劇に触れるというのが、地方によって状況が違っているんですが。

中原 違うんですね。

浅田 私の学校の場合は東京にございますので、演劇に触れる機会というのは、かなりございまして。

中原 そうですよね。

浅田 例えば、本校だけ取りましても、1年生の現代文の中では、現代劇鑑賞という、外へ出て演劇を見る行事がございます。あるいは文化祭で3年生が、8クラスあるんですが、全クラス必ず演劇をやっています。っていうようなことで、生徒にとって、少なくとも本校生徒にとっては、演劇はそんなに怪しいものではございません。

中原 あらら。やっぱ駄目なのかな。これは僕の出身の地方を別に言うわけじゃないんですけど、ちょっとそういう「知」に、僕はあんまり触れてなかったなって思いはありますけどね。
 ただ、ちょっと考えてみると、でも、パフォーマンスっていうか、ある意味見る、見られるとか、演じる、演じられるとかって、私たちの日常生活そのものがそういうとこってありますよね。

浅田 はい。

中原 割と、なんかみんな演じて生きてるし。そういうとこあるから、遠いもんじゃ本当はないのかもしれないですけどね。

浅田 それは実は、生徒にも言っておりまして。君たちの中で普段なんにも演じていない人はいないよねと。

中原 そうですよね?

浅田 ここでは友達として演じてるだろうし、家では子どもとして演じてるだろうし。その役割を演じるっていうのは、人間の行為としては普通のことだから。それをちょっとかっこつけてやってみようかっていう。

中原 なるほど。

浅田 それぐらいな感じです。

中原 なるほどね。高校生から、ゴフマン(※ドラマツルギーを社会学において提唱した社会学者)ですね。演じるっていうね。分かりました。
 ちょっとまた、話をずらして伺いたいんですが。なんかこういう、演劇に関してもパフォーマンスっていうか、もうちょっとインタラクティブに授業してこうってことになると、大概、だったら先生、古典の何とかの文法とか覚えなくていいのかとか、そういう、いわゆる覚えるとか、そういう伝達されるって授業を、ばっさり切り捨ててそっちに行くっていう立ち位置もないわけじゃないのかななんて思うんですが。そのバランスってのはいかがなんですか?

浅田 私の基本的な考え方としまして、どんなものでもそれ一辺倒では駄目だと思っています。

中原 そうですか。

浅田 ですから、例えば文法指導しかされない先生も中にはいらっしゃるように聞いているんですが、その文法ばっかりやっていくというのは、古典イコール文法というイメージを生徒に植え付けてしまいますし、読解作業だけやっていくようなものに感じてしまうと思うんですね。その結果、古典嫌いというのが非常に増えているということは

中原 はい!

浅田 そうでございましたか。

中原 すいません。

浅田 古典嫌いを増やすだけの授業は絶対いかんということは、国の側も言っておりますし。

中原 そうですか。

浅田 ですので、ある程度バランスは取らざるを得ないというか、取るべきだというふうに思っておりまして。古典の中で、例えば、先ほど来話題になっておりますような授業をやっていくということになりますと、当然のことながら別のところでは、文法だったり意味だったりといったことについて、あるいはさまざまな文学作品について勉強するという場面は、もちろん必要でございます。

中原 そういう時間も、確保なさってるんですか?

浅田 はい、もちろんです。それをやらなければ、恐らく、例えば1年中古典使って演劇ばっかりやっているようでしたら、生徒は全員そっぽ向くと思いますし。

中原 劇団ほにゃららか、みたいになっちゃう・・・。

浅田 なってしまいますよね。大学へ進学する生徒も、かなりたくさんいるという中では・・・。

中原 そうでしょうね。

浅田 普通のことを普通にやれるというのは当たり前のことで、ただ、普通のことを普通にやるだけが、これまでの授業形態としてかなり多かったのを、こんな授業のやり方もある、あんな授業のやり方もあるというふうに言って、どんどん新しい授業を開発してきているという歴史があります。

中原 なるほどね。

浅田 その中の一つとして、あんまり他の人がやったことのないような授業をやっていってもいいかなっていうふうに・・・。

中原 なるほど。

浅田 思っているところです。

中原 先ほどの話と、ちょっと結び付けると、ある意味、日常の私たちの行為自身が演劇的であり、演じることと無縁ではないってことから言うと、授業の中に演じるっていうことがあるポーション入ってくるっていうのは、ある意味、普通のことなのかもしれないですよね。なんかちょっとバランス悪い気しますね。少なくとも、20年前は。分かりませんけど。

浅田 私30年以上前ですので。

中原 そうですか。

浅田 もう本当に聞いているだけでしたから。

中原 ねえ。そうですよね。
 じゃ、ちょっと最後に、こちら見られてる方は、大学とか高校とか、これから教壇立ちたいって方が多いんですけれども、先生のお立場から、なんか一言アドバイスってわけじゃないかもしれないんだけど、一言なんかあるとしたら、なんかありますか?

浅田 私大学で授業をやることも若干、これまで経験しているんですけれども、大学生でも講義一辺倒で授業をやっていますと、寝ます。

中原 寝ますね。

浅田 ですので、ある程度ベースになる知識とか、あるいはわきまえておくべき良識とかといったものは、どんな分野にも必ずあると思うんですね。
 私が大学でやるような授業は、大体現場の教員ですので、国語科の場合、国語科教育法というのをやることが多いんですけれども、毎回のように、ある程度話題を与え、覚えるべきことは覚えろということを要求しつつも、その題材に関する議論を必ずやって、それをその後で発表させるというサイクルは設けております。それから、先ほど話題になりましたような、『古今和歌集』などを使いました授業を、大学生に実際にやらせたこともあります。

中原 そうですか。

浅田 そういうことを少し、学生のほうが経験しないと、現場には多分、たどり着かないまま、結局自分が昔受けた授業

中原 を再生産とかね、しちゃうってのはね。

浅田 結局、私自身も30年前に受けていた授業の再生産をしている部分っていうのは、ある部分ありますので、それを越えたい。それを越えるためには自分で工夫する、あるいは先輩たち、特に実践報告などを出している方々の実践に学ぶということと、あるいは新たな視点を、さまざまなところを、いわばチャンスを捉えて、自分の中に取り込んでいくような目線がやっぱり、必要なんじゃないかなというふうに思っています。

中原 はい。それでは、まだまだお話も伺いたいんですが、これで終わりになります。きょうはどうもありがとうございました。

浅田 ありがとうございました。

(音楽)

(了)

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