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ストーリー7.目で見て、耳で聞く英語教育:視聴覚教材の利用

中原 皆さん、こんにちは。東京大学の中原です。きょうもトークセッションのほう、進めていきたいと思います。きょうは教育学研究科の斎藤兆史先生にお越しいただきました。どうもありがとうございました。

斎藤 お招きいただき、ありがとうございます。

中原 お忙しい時期に、本当にすいません。

斎藤 いや、光栄です。どうもありがとうございます。

中原 ちょっと、先生のご専門のほうから話を伺っていきたいんですが、先生はご専門は何と。

斎藤 今は英語教育が中心になってますけど、もともとは英語文体論っていう

中原 英語文体論。

斎藤 文学のテキストを、きちっと言語学的に読むっていうの、専門だったんですね。それを教室で英語教育に応用しようという流れが世界的にあって、その流れから教育に関心を持つようになって。その英語教育っていうのを研究し始めたんですね。

中原 そうですか。先生は、今の教育学研究科にいらっしゃる前に、駒場総合文化研究科ですか。教養学部のほうで、20年間ぐらい英語の先生という経験をなさったという。

斎藤 そうですね。1、2年生のレベルではね。3、4年生の学部の後期課程レベルでは、例えば、イギリス科という所でイギリス研究を教えたり、言語情報科学の所では、また言語科学を教えたりして

中原 ああ、そうですか。

斎藤 また、大学院レベルでは、今度は文体論教えたり。こまごま、とにかくいろんなことを

中原 忙しいですね。

斎藤 忙しいです。

中原 そうですか。今回、何人か、東大の学生から、先生の授業、ものすごく面白かったっていうふうに感想いただいて。きょう、ちょっとお越しいただいたんですが。先生は駒場でどんな授業をなさったんですか。

斎藤 駒場の授業というのは、こちらで選べるものもありますけども、大体、カテゴリーが決まってるんですね。今は名前が変わりましたけど、英語1、2という分け方をしているときには、英語1というのは、共通の教材を使うわけですね。これ、かなり全国的にも話題になったプログラムで、これを任されると、決まった教材で、毎週、決まったセッションをやらなきゃいけないわけです。これは、要するに視聴覚教材と一緒に、ある決まったテキストを使って英語を教えるという。で、かなり大人数のクラスを教えるというのは、やりました。で、もう一つ、自分なりの工夫ができたかなと思うクラスは、英語2のほうで、例えば、読解であるとか。あるいはコンプリヘンションと称して、読んだり聞いたりする力を付けるために、読み教材と視聴覚教材を一緒に使って英語を教えるっていうクラスになるんですね。

中原 はあ。視聴覚教材っていうのは、どんな物を用いたんですか。

斎藤 これはいろいろです。ここが結構、私、好きなところで。そもそも、そういう授業やりたいので、コンプリヘンションという「C」というクラスの基本的なデザインは私が作ったようなところ、実はあるんですけど。もちろん、英語の先生がたみんなでね、討議して作り上げたクラスですけど。私は個人的にはそういうのがやりたかったというのもあるんですけども。その、視聴覚教材で私が使ったのは、例えば、結構、これはユニークだったかなと思うんですけれども、新渡戸稲造の武士道なんて英語を読ませるときには、その武士道に関係する映像を見せたりとか、あるいは、割合、日本の文化的なことを発信するという内容のものが多かったので、禅に関するものとか、鈴木大拙の英文と、鈴木大拙が実際に英語で禅を説明してる映像とか、そんなものをいろいろ組み合わせて教えてましたね。

中原 そうすると、ある意味で、授業に関連のあるような映像で。大体、何分ぐらいのものを用いたんですか。

斎藤 全部流すと、結構、長いんですけど、大体、駒場の授業ってのは、英語では90分ですから。大体、学生ってのは30分ぐらいで、まあ、こんなこと言うと、学生の皆さんに失礼ですけれども、これは人間、みんなそうだと思いますけれども、30分ぐらいで集中力が大体切れる・・・。

中原 生理的現象として。

斎藤 大体、30分ぐらいで1回、そうですね、5分から10分見せて。で、また30分たったところで5分から10分。最終的には30分より短い時間しか残りませんけれども。そんな形で視聴覚教材を使ってましたね。

中原 ふーん。それは授業に関連した教材見して、それを先生がその後、解説してっていうのがあるんですか。

斎藤 あります。もちろん、視聴覚教材ですから、音声、まあ、視覚的な映像もそうですけど、音声が重要になってくるので、ここで今、何て言ってたかな、これ、聞き取りしてみようとかって、聞き取りの教材にもなりますし、あるいは、たまに字幕を出して、字幕を読みながら、自分の理解度を確認するとか、いろんな作業ができるんです。

中原 ああ、なるほどね。

斎藤 それは、そのときのテーマに沿った物を用意しますけど、どういう視聴覚教材用意できるかにもよりますし、字幕がある物、ない物ありますし、それに合わせて、やっぱり作業も変えていく必要がある。

中原 先生はじゃあ、その視聴覚教材みたいなのを常に探してらっしゃったわけですか。

斎藤 探してます。探してますし、非常に幸いなことに、放送大学とか、NHKでお仕事いただいて、自分で好きな教材を使った視聴覚放送を使った放送っていうのは、自分でやったこともありますので。まさに私がやった、その放送そのものも使うことも、随分ありましたので。常にそういうものと組み合わせながら、しょっちゅうあちらこちらに目を配ってましたね。

中原 ああ、そうですか。先生、90分の授業の中で、大体2回ぐらい途中でショートクリップが入ってくるっていうのは、もともとはそういう授業、なさってなかったってことなんでしょうか。

斎藤 ええ。してなかったというよりも、そもそも、その視聴覚教材、特に英語に関してですね。そういう教材が開発されるようになったってのが、割合、最近のことで。昔は本当に講義形式の授業をやってたわけですけど。VHSなんかが出だした頃から、これは、こういう授業やったら面白かろうということで使うようになりまして。最近はDVDなんてのも、いろいろ開発されていますし。自分でやった授業とか、自分で撮ってきたものをうまく編集してね。使って。

中原 そうですか。今だったらですね、それこそネットとかで。YouTubeとかいろんな映像があふれてるから。使えるかもしれませんね。

斎藤 そうですよね。

中原 ちょっと、これから話をずらしたいんですけど、ある意味で先生、教育学研究科に移られて、中、高とかの英語教育も見ておられるっていうふうに伺ってるんですが、中、高の今の英語教育っていうのは、どんな状況なんですか。僕、かなり昔の状況なんで、全然、土地勘がないんですよね。

斎藤 なるほど。これもいろいろ理念と現実との乖離ということもありますし、全体的な流れとしては、これは私は必ずしも好ましいという意味で申し上げるわけではないんですけども、コミュニカティブな英語運用能力が重要であるということになって、文科省なんかもその方針で通達を出していますね。ところが、現場がなかなか変わらない、昔ながらの文法読解であるという認識なんでしょうけれども、先生がたは非常に混乱していますね。私は駒場に居た頃から、もちろん、中高の英語教育に関して、いろいろ意見は申し上げていましたけど、こちらの教育学研究科に移ってから、もう、密にですね、授業検討会なんてのは来週もありますけれども

中原 現場でですか。

斎藤 そうです。そういうものに呼ばれて行ってみて、先生がたのご苦労っていうの、非常によく分かるんですね。ですから、割合、国として、あるいは経済界とか、政界は、そういうグローバルな人材を作れと。もう少し会話で、自分たちを発信して、世界で活躍する人材を育てようと言うんですけど、なかなかそれが、理念的には素晴らしいことだけど、現場でじゃあ、何をするかっていうときに、やはり、私なんかは基礎からしっかり教えていかなければいけないと思うわけですね。いきなり一朝一夕的にしゃべれるようになるわけじゃないんで。その辺の社会の要請と現場でできることとの間の距離というのは、非常に大きいなというのは、あらためて感じていますね。

中原 文法が分かんなくてね、話せないって、何となく思うんですけど、コミュニカティブっていうのは、どちらかというと、それでもコミュニケーションを重視するっていうことになるんですか。

斎藤 そういうことになるでしょうね。勢い、単純な文法でもいいから、何か言いたいこと言っていこうと。しかし、それだと非常にレベルの低いことしか言えなくて。

中原 ああ、そうですね。

斎藤 そうなんです。言えることしか言えないわけなんですね。

中原 そうですか。

斎藤 ですから、きちっと文法教える必要があって。よく、日本では文法を気にしすぎるから話せないんだなんて言いますけど、実は、そうじゃなくて、日本語と英語っていうのは、すごく言語的に距離があるために、なかなか習得が難しいんですよ。だから、気にしてるから話せないんじゃなくて、気にならなくなるまで徹底的にやってないから話せないのであって。そこを多くの人が誤解してるんですね。

中原 主語とかもね、述語も逆ですよね。

斎藤 そうなんです。

中原 そうすると、ああそうか、言語間に距離があるから、ひたすら体に染みるまでやんないと駄目だってこと。

斎藤 駄目なんです。フランス人が英語を習得するのと違うわけですからね。逆に日本語の人が、韓国、朝鮮語を学ぶときには、これは比較的短期間でできるわけです。これは言語間の距離が近いからなんですけどね。

中原 ああ。

斎藤 そういうのを、割合、無視して、こういう言語教育がいいんだっていうのは、理念的に、あるいは理論的に出てきますけど、現場ではなかなか。そううまくはいかないと思います。


中原 ちなみに、大学教育で、今、英語って。やっぱりコミュニカティブな方向なんですか。今。

斎藤 に、流れてますね。昔のような文法読解っていうのは、多少、けんえんされる傾向があって、特に中、高でもその傾向が強くなってきていますけど、英語で教えなさいと。とにかく。要するに、教授言語を英語にしましょうという流れになってきています。これは悪いことではないんですね。もちろん、教師が非常に質の高い英語を話すことができて、学習者がそれを理解できるんだったら、それが一番いいんですけど。そういう条件がそろうときばかりとは限りませんから。これはやはり、臨機応変に100のクラスがあったら、100通りの教え方があるので。そこはやっぱり、教師が。教授言語も含めて方法論を選択できるような幅を持たせたほうがいいと思いますね。

中原 教授言語を英語にするってことはね、教員養成そのものもね、英語でなんなきゃないですよね。

斎藤 そうですね。それも英語じゃなくても、できないことはなくて。ある部分を英語で徹底的にトレーニングするってことはできますけど。ただ、現場にはまだ、自分は話すのは苦手だけど、文法は任せておけとかいう先生は居るんですね。読解は任せておけとか。そういう先生がね、自分たちの得意技を生かせるような、多少、余裕のあるカリキュラムというのも必要だなとも感じてますね。一律に、とにかく英語で教えなさいっていうのが指導要領なんかにも盛り込まれてしまいましたけど。基本としてね。

中原 そうですか。

斎藤 だから、ちょっとそれは縛り過ぎかなという気がしています。

中原 分かりました。先生、いろいろ駒場で英語教育なさってたときに、かなり工夫して授業なさったっていうふうに伺ってますけれども、これ、見られてる方は、若い大学院生の方、これから近い将来に大学の教員になりたいって方が結構、多いんですが。先生のほうから、何か、そういうかたがたに、ひと言、メッセージをいただけるんだとしたら。何か。

斎藤 専門が英語に限定していいんですか。英語教育。

中原 どっちでも構いません。

斎藤 最近、特に、授業のやり方とか、教授法とか、そういうところに、割に重点が置かれる傾向にあって。それはそれで非常に好ましいことだと思うんですね。授業のやり方ってのは非常に重要なことですし、どういう機材を使って、どういうやり方で進めていくかっていうのは重要ですけど、ややもすると、教授する内容、教育内容ですね。英語教育の場合は当然、英語っていう言語ですけど、それに対する理解というものが、なんかちょっとタブー視されて。つまり、英語の先生の英語力っていうのは問われない傾向があるんですね。どういう授業したらいいかとか、どう教えたらいいかということばかりに注意が向けられてるので、まず大学院ぐらいのときは、自分が教えようとする科目、その教育内容をしっかり勉強してください。もちろん、教え方っていうのは、その後、じっくり勉強していく必要ありますけどね。まずは英語の先生になろうという人は英語を勉強してください。きちんとしゃべれるように。だから、英語で授業しなさいって言われたときに、しっかりとした、学習者の手本になるような英語を話すような訓練をしておいてください。

中原 それはハードル高いですね。

斎藤 そのぐらいまで求めたいと思いますね。

中原 そうですか。分かりました。お時間のほうもありますので、きょうはこれで終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

(了)

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