Utokyo faculty development東京大学

インタラクティブ・ティーチング

ストーリーセッション

ストーリー3.学生の議論を促すには?

中原 皆さん、こんにちは。東京大学の中原です。きょうは東京大学大学院、教育学研究科の本田由紀先生にお越しいただきまして。ちょっと、トークのほうを進めていきたいというふうに思ってます。きょうは、どうぞよろしくお願い致します。

本田 よろしくお願いします。

中原 ちょっと、早速ね、本田先生のほうに少し伺いたいんですが、今回のご出演いただくきっかけになったのは、先生の授業がすごく面白いっていう、いろんな学生さんからの評判とかを聞いたんですけども。学部の授業で、先生、教育社会学の概論みたいなの担当されてると思うんですが、どんなような授業なさってるんですか。

本田 そうですね、この、教育社会学概論っていうのは、私のコースでは、3年生の必修の授業なんですけれども、教職科目でもあるので、教員免許を取る方が、いろんな学部から、あるいは大学院まで含めて、理系も含めてですけれども、ワーって来てくださって。80人ぐらいですかね。居る授業なんですね。そういう、多様な学生さんに対して、教育社会学のエッセンスを伝えなければならないという、そういう授業なんですが。私がしている工夫というのは、毎回2本の文献を指定してあってですね、事前に読んできてもらうと。読んでくるときに、講読票っていうオリジナルな様式を作ってまして

中原 講読票?

本田 講読票というのは、キーワードと、概要と、ポジティブな意見、ネガティブな意見というのを、書いて持ってくるんです。

中原 一つの文献に対して、学部生が、その講読票に書いてくる。

本田 そうです。あらかじめ持ってきてもらって。一番下に、授業のときの議論のメモっていう欄もあるんですけれども。そういうフォーマットがあるんですね。そこの一番下の授業のときの議論のときのメモ以外の所を書き込んだものを、みんなが携えて持ってくるわけなんです。

中原 なるほど。

本田 そして、授業の最初では、必ず15分ぐらい、グループを作ってもらって、さあ、みんな講読票持ってるよね、それをグループで共有して、しかも2本の論文がありますから、どっちもみっちり読んできてるとは限らないですよね。片方はよく読んだけれども、もう片方はサッと流しちゃったという子も居るので、そういう子でも2本分の情報が共有できるように、とにかく、何か書いてあったか、どう思ったかというのを、グループのみんなで、さあ、話してっていうのが、一番最初のフェイズなんです。

中原 なるほど。ある意味でレベル合わせみたいなことをするってことですかね。

本田 そうですね。はい。特に意見の所ですね。ポジティブ、特にネガティブなほう。一体、何が疑問に思ったか。批判的に感じたかということについてすり合わせてもらう。そうすると、ああ、そういう読み方もあるのかっていうことで、チェックする視線みたいなものがクロスオーバーしてですね、複雑になるかなっていうのがあって。最初にディスカッションをしてもらうわけです。

中原 まずはグループでね。これは何人ぐらいですか。

本田 4、5人です。

中原 4、5人ですか。じゃあ、ちょっと、隣、ご近所さんでみたいな感じになるんですかね。

本田 そうです。はい。その間、私はうろうろ歩き回ってるんですけど。歩き回る間に、2本マイクを持っていてですね、歩き回りながら、ポトッ、ポトッて、グループのどっかに、その2本のマイクを置きます。

中原 ワイヤレスマイク、はいはい。

本田 この2本のマイクが、それ以降の授業の進行において重要な役割を果たしていて、ディスカッションが終わったら、2本の論文を、1本ずつ、「さあ、みんな、書いてきたことを紹介して」っつって、どんどんマイクを回しながら、「はい、キーワードどうぞ」って、書いてある分だけ言ってもらうわけですね。で、TAが居て、TAの人が全部、発言をワードで書き取ってるんですけども、それをプロジェクターに映して、発言が全部、音で消えるんじゃなくて、画面に残るようにしてあるんですね。で、それを見ながら、「はい、キーワード、たくさん言ってくれてありがとう。じゃあ、次、マイク、どこ行った? どこにある?」つって。「じゃあ、次のマイクの人、キーワードの残りある? あるんなら言って。キーワードがもしないんだったら、概要に入って」って言って、概要の所の作文も一応論文の骨子だけは最後まで把握できるように、順番に言ってもらうんですね。で、「はい、じゃあ、もう概要ない? なかったら意見にいって」っつって、次、ポジティブ、ネガティブの意見を順番に言ってもらいます。

中原 文献は結構、難しいんですか。

本田 文献は、各回のテーマがあってですね、教育社会学の全体を見渡すような回もあれば、特定の教師っていうテーマの回もあれば、生徒間関係とか、それぞれ、教育社会学の扱う、いろんなテーマ別に、各回が設定されているんですけれども。それに関わる論文を2本、読んでもらうんです。その2本っていうのは、概説的なものと実証研究のピンポイント的なものとかですね、実証的なもので手法が違うものを、計量的なものと、質的なフィールドワークなどを2本、合わせてぶつけて読んでもらうとかですね。両方、合わせ読むことによって、やはり、一つのテーマについて、比較が複雑になるってことを狙ってるわけなんです。

中原 それ、絶対読んでくること、前提なんですよね。というと。

本田 まあ、でも。決まりはですね、1本分は絶対、講読票持ってこなきゃ駄目。ただ、できれば2本分の講読票持ってきてほしいんだけれども、忙しいと思うし、もし作れなかったら、2本が無理だったら、1本でもいいから作ってきてって。1枚の講読票は、とにかく最低限持ってくるように。何か言うものはある。白紙では来ない。

中原 それって、1本ないとね。話になんないですよね。なるほどね。

本田 そうなんです。ええ。なんでこういうふうにしてるかっていうと、よくグループディスカッションとか行われる場合も、その場で思いつきで話したり、声が大きい人がディスカッションを牛耳ったりすることがあるって聞いたもので、そうならないように、あらかじめ、自分にはもう、言えることがあるということで、誰かだけに引きずられたりとかですね、自分はあらかじめ考えてきて、で、違う意見が出てくれば、ぶつけることができるっていう。自分のものっていうのがあった上でのディスカッションをしてほしいということなんですね。

中原 で、概要が終わって、意見ね。

本田 はい、意見に入りますけども。ポジティブのところがいつもサラッと流します。こういうところが面白いと思いました。はいはいって感じで。次にネガティブな意見、そこのところが、やっぱり面白いわけですよね。この論文のここに疑問を感じました。ここはよく分かりませんでしたっていうことを言ってもらう。言ってもらったら、「はい、意見出たね、じゃあ、もう1本のマイクの人、今の批判的な意見に対して、この論文を書いた人の気持ちになって、ちょっと、弁解っていうか、リプライしてみて」、みたいなことを、振ります。

中原 著者の気持ちになって、ってことですか。

本田 そうです。つまり、答えてみてって。無理やりでもいいから、答えてみてって。まあ、ある意味、むちゃ振りなわけです。つまり、流動的なので、自分のときにマイクが来たときに、自分が何を次に言うことになるかは、ちょっと、分からない要素があるんで、かなり緊張感が伴うんですけども。

中原 マイクは常に移動してんですか。

本田 そうです。マイクはグループからグループに、あるグループの人が発言し終わったら、ランダムに、前後左右、どっかのグループにマイクを渡してって言ってあるので、授業中、教室中を、マイクが移動してるわけなんですね。

中原 いやあ、来ちゃったよ、みたいな。

本田 そうそうそう。私も、全部分かってるわけじゃないんで。はい、今、マイクこっちの人、発言終わったね、じゃあ、もう1本、どこ? みたいな。手、挙げて、みたいな感じでやってるわけなんですけども。そのネガティブな意見のところのディスカッションができれば、学生の中でやりとりが始まってくれることを期待するんですけどね。まあ、そううまくいかないことも結構あって。やりとりが続かない場合は、私が解釈しちゃったりすることもあるんですけど。意図としては学生の中で、でもこれは、それはちょっと、納得いかない、みたいなね。そういうやりとりが始まってくれることを期待してるわけです。

中原 いつから、先生、そういう授業なさったんですか。最初からですか。

本田 私が教育学部に来たのが、2007年で、2008年ぐらいからこの授業やってるんですけど、まあ、大体は同じように進めていて、改良は加えてます。どういう改良かっていうと、例えば、最初の15分のディスカッションの時間を設けるっていうの、これも多分、2年目か3年目ぐらいから、すり合わせた方がいいなっていうんで・・・。

中原 いきなりでは無理だなってことですか。

本田 そうです。最初、個別にやってたんです。一人一人。ですけども、せっかく持ち寄ってるものがあるので、学生間で共有してもらったほうがいいなってことで、グループ単位で進めることにしたとかですね。あとは、工夫としては、一番、講読票の下の所に、授業のディスカッションのメモっていうのを作ったのも最近なんですね。なんでかっていうと、学生って、結構、賢いというか、ずる賢いので、つまり、講読票が実は出席確認の意味を果たしてるんですね。

中原 ああ。

本田 なので、友達に委ねて、出しといてってやってるやつが居るらしいっていうのを嗅ぎつけたわけなんです。だから、それに出席扱いにするのはしゃくなので、その場に居たっていうことが分かるように、授業の議論のメモを書いてもらうようにしたって。こっちも何ていうか、知恵を絞って・・・。

中原 一歩、先ゆくみたいな。

本田 そうですね。

中原 そうですか。さっき、学生の議論にっておっしゃったんですけども、100パーセント、常にかみ合った議論ができるとか、丁々発止の議論ができるっていうのは、なかなか難しいとは思うんですけど、先生、学生の議論を促進していくというか、促していくことで、工夫なさってることとか、どんなふうにやってらっしゃるんですか。実際問題。

本田 そうですね、何だろう。さっき、言いましたように、次のマイクの人に、答えられる? 答えられないんなら、手、挙げてって、挙手で答えられる人、居る? みたいな感じでは、できるだけ、自発的に言ってもらうようにはしてるんですけど、必ずしもうまくいかないので、そういう場合は、誰か指名したり、挙手を求めたりするんじゃなくて、とにかく、何々の人、手、挙げてみてっつって、そう思わない人、手、挙げてみてって感じで、二つに分けて、あなた、手、挙げてたよね、とかですね。言えるはずだよねっていう感じで。なんか、すごい嫌な感じなんですけど。

中原 でも、それは必要ですよね。

本田 とにかく、もう、個人として座ってるわけですから。考えてちょうだい。考えてないわけないでしょ、お願い、言って。ていう感じで。まあ、できるだけやろうとはしてるんですが。そんなに盛り上がらないこともある、そのときは、私が介入して、これはねって。さっきの疑問は、実はすごくいい疑問で、とか。自分で説明に入っちゃったりするんですけど。

中原 そうですか。なんか、教えてるときに、一番、怖いってのって、黙ってる人を相手にするっていうか、何を言っても反応しないみたいな人って、結構、たまに居たりしてて・・・。

本田 そうですね。

中原 この人に、どう、こう、考えてもらうんだろうみたいなこと、考えてもらおうか、結構、悩むことって多いですよね。

本田 そうですね。

中原 僕、なんか、自分のこと言ってますけど。

本田 いや、私の学生のときには、全然、悪い学生で、黙ってるどころか、寝てたんですね。授業が面白くなくて。

中原 それは、言えないですよ。

本田 本当によく寝る学生だったので、教員になった暁には、学生を寝させてたまるものか、みたいな。

中原 ああ、面白い。

本田 だから、常に緊張感が走るようにしてますし、マイクはいつ回ってくるか分からないし、何が当てられるか分からないしっていうので、まあ、できるだけ寝ないで、そして、何らか考えてもらう、今の授業の流れに参加していないと、振られたときに反応できませんよね。ですから、そんな感じで、煽るっていうかですね。

中原 ある意味、偶然性を作ってるってのが、面白いですよね。誰に来るか分かんないし・・・。

本田 そうですね。ちょっとゲームっぽくなってるんですかね。何でしょうかね。

中原 でも、答えなきゃなんない。それは、学生さんはどんな反応というのか、意見とか、持ってらっしゃる。すごい、面白いとは思いますけど。

本田 そうですね、でも、面白いと思ってくれてる子が最後まで残ってくれてるとは思うんです。まあ、そんなにやらないんですけれども、最初のオリエンテーションのときに来て、説明するんですけど、「ああ、なんか、面倒くさそうな授業だなって思ったら、もう、どんどん出ていって構わないよって。お互い、時間の無駄だからね」って言ったら、バラバラって、最初のオリエンテーションのときに出ていきますんで、ああ、面倒くせえと、こんな授業、うぜえって思う子は、居ると思います。そういう子は取らないと思いますね。だから、それ、分かった上で、やってくれてる子が取り続けてくれてるって感じですかね。

中原 例えば、何かその、個人的なあれなんですけど、面倒くさいとかうざいとかって思う学生に負けちゃ駄目ですよね。何つったらいいんでしょうか。そこに合わせてくんじゃなくて、やっぱり、こういうふうに授業したいとか、アクティブに皆さん、発言してくださいっていうことを、もっともっと言っていいんじゃないかなって、何となく思うんですけどね。

本田 パターンはもう、前から結構、同じですし、パスありですし

中原 パスあり。

本田 パスあり。発言できなくて、ウッて止まっちゃったときには、うまく言えないときには、パスありだよって言ってあるんで。いろいろ、決めつけるばっかりだと、学生も嫌になるでしょうから。一応、緩みも持たせてはいるんですけれども。

中原 ありがとうございました。じゃあ、授業に関してはこのぐらいにしたいんですが、先生、これはある意味で、近い将来、大学の教壇に立ちたいっていう大学院生とかの方が見ているコンテンツというか、映像になるんですけど、東大でプレFDっていうか、こういう試みが始まったときに、すごく興味を持ってくださって、私どもの授業、栗田がやってる授業とかにもご参加いただいて、本当、ありがたく思ってるんですけど

本田 すいません、ありがとうございました。

中原 なんで、そのプレFDにご興味をお持ちになったんですか。

本田 私、前々から、自分の研究とか主張の一貫として、教育の職業的意義っていうことを言ってまして、日本の小、中、高等教育のいずれも、教育の職業的意義というのが希薄すぎるだろうっていうことを、いろんなデータ、できるだけ集めて、言ってきたりしたんですね。で、そういう頭がもともとあったもので。これから大学教員になりたい大学院生に対して、大学教員になった暁の指導のしかたを教えるっていうのは、これは、ものすごく職業的意義のある教育を試みてらっしゃるんだと思ってですね。それにすごい関心を持って、素晴らしいことだと思って、見していただきました。

中原 そういう意味では確かにそうですよ、大学教員としても職の、本当のある一部分かもしれませんけど、教えることに関する知識みたいなものを教育の場面で教えるってことなんですもんね。

本田 前から指摘されてますけれども、日本の大学教員になる人っていうのは、それまでずーっと研究一筋で来て、一生懸命、実験やったり、論文を書いて、研究者として認められて、そして大学教員になるわけなんですけど、大学教員としての仕事っていうのは、もちろん研究もありますけど、大きな仕事が教育なわけですよね。その教育に向けての準備っていうのは、ほぼないままに大学教員になる人が、これまで普通であったっていうようなことって、実はもう、大問題だろうって思ってたっていうこともあってですね。ですから、今回の試みに対して、本当、素晴らしいことだと思ったわけです。

中原 でも、準備ができるっていうのは、すごくいいことだなって思ってて。本当に多分、教えること、例えば、難しさとか、あるいはファシリテーションとか、そういうものは、多分、現場に行って学ばれるんだろうけど、全く何の武器も持たないで行くっていうのが、ちょっとね。こう、難しいなとは思いますけどね。

本田 あと、もう、武器っていうこともそうなんですけど、立ち場所の違いみたいなのって、かつてのように大学というものが非常に小規模であって、教員と学生の間の属性とか発想とかが、それほど違ってなかったときは、やりやすかったかもしれませんけれども、ご存じのように日本って、すごく90年代以降、特にそうですけれども、大学の規模がパーッと拡大して、いろんな多様な大学ができるようになってますよね。そうすると、多くは割と難し目の大学に行って、大学院まで進んで、勉強や研究が大好きで、キューってやってきた子が、実際に仕事に就いたら、もしかしたら、それほど勉強が好きじゃない子もたくさん来ているような大学で教鞭を執ることって、全然、もう、珍しくなくなってるわけですよね。ですから、自分の歩んできた生涯と、自分の目の前に座っている学生たちの考え、発想、感じ方っていうのの間のすごいギャップを、どのようにしてつないでいくか。橋架けていくか。これは、向こうに求めてはならないことで、教える側の責任だと思うんですよね。それを教える側が責任果たすためには、この違いにまず、気が付いていなければならない。それすら気が付いてない場合って、結構あるんじゃないか。それ、恐ろしいことだろうと思うんですよね。

中原 一番、多分、やっちゃうのは、普段、大学院生が接してるのって研究者だと思うんですよ。そうすると、専門用語が分かって、頭のいいスマートな人たちに対するプレゼンテーションと勘違いしちゃうんですよね。

本田 そうです。学会発表みたいになっちゃうんですよね。

中原 なっちゃいますね。その辺は確かに事前に認識したほうがいいことかもしれません。

本田 もう、やりすぎかなと思うぐらいかみ砕かないと、分かってくれないし。あと、個人的には単に知識を伝えて、分かってもらうってことじゃなくてですね、私がやっちゃってるように、何か揺るがしたり、煽ったりする役割を、大学教員としてやってくれたらいいなっていう希望、期待が個人的にはあります。

中原 同感です。ちょっと、最後になりますけど、これから近い将来に大学の教壇に立たれる、若い研究者、あるいは大学院生に対して、先生のほうから、何かメッセージっていうか、ひと言、何かいただけますか。

本田 メッセージですね。あんまり偉そうなことも言えないんですけど、大学の授業って、やっぱり、学問ベースで、ある学問の知識というものに立脚して作られてるのが大学の授業だと思うんですけれども、それを大学の授業以外の広い社会に投げ掛けたときに、そこにどういう化学反応やケミストリーが起きるのか。コアとしての専門的な知識を、ギューンといろんな社会の現場に落ち着かせて、この、ギューンとなったフリンジのところに、学生を巻き込んでいくような。そういう大学教育であってほしいなと思うんです。大学ってよく、象牙の塔って言われたりしますけど、もちろん、ここには学問や研究があるわけですけども、学問や研究だけやってればいいんだっていうふうに凝り固まっているんじゃなくって、大学に入ってきて、また、社会に出ていく。その人たちの人生にとって、この学問のコアというものが、どういうふうにギューンと関わりを持ちうるのか。それが職業的意義というところ、レリバンスという言い方にもなると思うんですけども、この、どれほどの射程をフリンジとして持てるようになるかっていうのが、授業の良しあしを決めるかなって思うんですね。ですから、まあ、どのようにリアルな世界と関わらせて教えることができるかっていうところに心を砕いてもらいたいなと思います。

中原 そうですね。確かに象牙の塔ってやゆされるとこもあるのかもしれませんけど。リアルの社会との接続とか

本田 そうですね。

中原 そこは、やっぱ、先に見してあげるっていうか。学生に。こういうふうになってるかもしれないよっつって。どうする、その場合って。議論を喚起していくってのも、なかなか面白い課題だなと思いますよね。さあ、短い時間になりましたけれども、これで終わりたいと思います。どうも、きょうは本田先生、ありがとうございました。

本田 ありがとうございました。

中原 お疲れさまでした。

(了)

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